【LIFE PICNIC】Vol.6 「心と体の余白」イベントレポート
「働く」と「遊ぶ」の間には、何があるんだろう。
「社会」と「個人」の間には、何があるんだろう。
「子ども」と「大人」の間には、
「生」と「死」の間には?
LIFE PICNIC vol.6が、2024年7月26日(金)の夜、BONCHI1階で開催されました。
人生という、じっくり考えようとするとちょっぴり大きく、重く感じるテーマ。普段は「常識」や「~すべき」という言葉で隠れている「自分のコトバ」を見つけることができたら、少しは考えやすくなるだろうか。
LIFE PICNICでは、サンドイッチを片手に肩の力を抜いて、ピクニックのような楽しい雰囲気の中で、人生と向き合ってみるきっかけになるような時間をお届けしています。
肩書きも職業も関係なく、偶然となりあった人の話を聞き、時にはじぶんの話をすることで、少しずつ、隠れていた「自分のコトバ」が浮かび上がってくるような対話が生まれていきます。
今日はどんなピクニックになるのでしょうか?カラフルに飾り付けられた会場に、ワクワクがいっぱい広がる中、サンドイッチを食べつつスタートしました。今回も、サンドイッチはならまちパン工房okageさん 特製「イワシのリエットとピクルスのサンド」です!
心と体の余白
第6回目の開催となるこの日のテーマは、「心と体の余白」。
ゲストは美学者の伊藤亜紗(いとう あさ)さん【美学者・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授 】、そして特別出演として第5回ゲストの近内悠太(ちかうち ゆうた)さん【教育者/哲学研究者・統合型学習塾「知窓学舎」講師】、ナビゲーターはエッセイ作家・MCのしまだあやさんです。
☆特別出演=近内さんの著書「世界は贈与でできている」の帯に伊藤さんが寄稿されていた等の事前の親交があったことから、第5回開催時に興味を持っていただきました。LIFE PICNIC事務局から正式に出演のご相談をしたところ、近内さんにご快諾いただき、今回の特別出演が実現しました。
ゲストトーク
ゲストの方に自己紹介を促すしまださんですが、「あんまり紹介じゃなくてもいいかも」と付け加えます。
「普通のトークイベントだとゲストの方の来歴をお聞きする時間が長かったりしますが、LIFE PICNICではあえて『6つの問いかけ』を通してゲストの方のことを知ってもらうようにしているところがあるので、最近ハマっていることでもいいですよ」としまださん。
伊藤さんは、「最近ジョギングを始めたので、明日の朝どこを走ろうか楽しみです」
近内さんは「伊藤さんとは学術の場で話すことはあっても、このようなざっくばらんな場でお話をするのは初めてで嬉しいです」とのこと。プライベートに近いお話も聞くことが出来ました。
参加者のみなさんにも、3人1組になって自己紹介をして頂きました。
LIFE PICNICらしい少しユニークな質問として、「自分の体を一日だけ他の生き物と交換できるなら、何になりたい?」というものも。ちょっといつもと変わった自己紹介となりました。
”毛”にはおどろきの役割が?
伊藤さん、近内さんにも交換したい生き物を答えてもらいました。
伊藤さん 「毛がふわふわの生き物になりたいですね。毛が好きなんですよ。普段から動物の毛も人の髪の毛とかも、ものすごく触りたくなるんですよね。ケアは毛から始まるとも思うし、コミュニケーションの媒体としても毛というのは大切だと思うので。」
「体」の研究者である伊藤さんらしい答えが返ってきました。毛のある動物の話や、毛の役割について話が発展していきます。
近内さん 「確かに、『肌が触れる』というとかなり直接的な感じがしますけど、『毛が触れる』というと、近いけれど接しきっていない感じがありますよね」
しまださん 「近内さんがなってみたい生き物は?」
近内さん 「僕は猫ですね。あんな風に体がやわらかくなってみたいし、特に飼い猫だと、気ままでマイペースなのに無条件で愛されるっていうイメージがあって食住が保証されている。まさに自由の象徴という。良いですよね」
「どんなものであっても、すべての体を肯定したい」
二つ目の質問である、体や美学を研究するようになったきっかけの話へ。
伊藤さんによると、人間の認識能力には、「こう考えた」と言葉で説明ができる知性と、「なんかわからないけど好き」等の言葉で説明しにくい感性があるそうです。
美学とは、芸術的や感性的な認識について哲学的に探求する学問です。より平たく言うと、言葉にしにくいものを言葉で解明していこう、という学問です。
近代以降、哲学的には知性(理性)のはたらきが絶対視され、神聖化されていた側面があるため、言葉で説明できない感性のはたらきは無視されたり、軽くあしらわれていたりしたといいます。
伊藤さん 「歴史的・学問的には知性の方が重視されてきましたが、私は、人間には説明できないものが備わっているということにすごく面白さを感じました。なんだかよくわからないけれどそこにある、という、不気味にも聞こえる面白さ。体って、注文されずに成立しているものじゃないですか。ただこの体で生まれてきたからそれを使っている、みたいな。私にとって、すべての体を肯定したいというのがすべてのモチベーションなんです」
体を美学の研究対象として多く取り上げる背景には、体を肯定したいという思いがあることがわかりました。
その後、伊藤さんがフィリピンへ行った体験から、空間とケア、パーソナルスペース、近内さんとの学術的な話題も混ぜながらどんどん話が展開していきました。
さまざまな視点から考える「余白」
話も尽きないところで、次の質問へ。
しまださん 「今回のテーマは『心と体と余白』ですが、普段余白を意識する瞬間や、余白がどんな風に生まれているか教えてください」
伊藤さん 「余白って、無意識の領域も含めた活動の『全体』と、意識としてコントロールしている『部分』の差分だと考えているんです。私は『部分』によって『全体』が決まってしまうことが悔しいと感じるんですよね」
しまださん そうなると、『余白』って、枠の中の隙間という意味ではなくて、外に広げていくことができるのかもしれませんね。ぎっしり字が詰まった紙に余白はほとんどないですけど、その紙自体を別の大きい紙に貼ったりしたら、その新しい紙の分がぜんぶ余白になりますよね」
と、「余白」に関して新たな見方が生まれます。
また、伊藤さんは先日別のイベントで「適当」がテーマになった対談があったとのことで、「適当」と「余白」についてもお話してくださいました。
伊藤さん 「『適当』を英語にすると”reasonable”、『妥協点』的なニュアンスなんですよね。余白もたぶんそれと似ていて、ルールを決めすぎるとかえって窮屈で、reasonableの部分を新しく発見し続けなければいけないと思うんです。でも余白があれば、その中で『適当』なところを探ることができますよね」
しまださんが自宅の90%を解放しているという話から、ルールを決めすぎることの難しさにも話が発展。視点がどんどん広がります。
そして近内さんにとっての余白は、心のレベルで感じるものだといいます。
近内さん 「『余裕』というとお金の余裕、時間の余裕、みたいに物理的なものと絡んでくる生活レベルで感じるものだと思うのですが、『余白』というと心のレベルな気がします。僕は現実と関係ない思考の世界に没頭できたときが、余白があって幸せだなと感じます。あとは、話のネタを思いついたとき、それを遊ばせたり、泳がせたりしておけるような感覚を残しておくようにしているのですが、それも余白だと感じますね」
近内さんは、余白と余裕の違いに着目しつつ、頭の中で考えていることと余白の関係について話してくださいました。
思考実験を日ごろからしているなど、近内さんの脳内は考え事や面白い想像でいっぱいなことが伝わってきます。
さらに思考実験についてお二人に詳しく聞いてみると、座禅とサイクリングの似ている点や、人間の体の形が違っていたらどうなるか・・・など、興味深いお話がたくさん!
そんな風にたくさん思考することで生まれるものはありますか?と問いかけるしまださんに返ってきたお二人の答えは「ニヤニヤできるよね」。
具体的なテーマに沿った発見だけでなく、思考することそのものの面白さについても気付きのあるお二人のトークでした。
説得よりも誘惑
最後に、近内さんから伊藤さんへの質問。
近内さん 「伊藤さんは、知性こそが正当な脳の活動だとされてきた中で、人間の感性の中にある、ある種の不具合のようなものを通じて、人間の新たな一面を発掘調査されているイメージがあります。そのイメージはあってますか?」
伊藤さん 『発掘』と言ってもらえると嬉しいですね。人を啓蒙したくないんです。それって知性のやり方で、そんなに人を変えることが出来ないと思ってるので。差別をなくすための法律みたいなことを提唱するんじゃなくて、これも良くないですか?って周りの人を誘惑するようにしているんです。真っ先にその人の体を肯定したいと思ったときに、感性レベルのアプローチが必要だと思っていて。説得よりも誘惑の方が大事だと思うんです」
この、説得より誘惑、という言葉に気付きを得た参加者の方も多かったようです。
興味深いお話がたくさんの中、余韻に浸りつつミニワークへ。
ミニワーク ー三視点観察会ー
今回は、いつもと違った方法で物を認識してみるというワークです。
目をつぶっている時の皆さんを見ていると、様々な行動が。
重さを感じるために手のひらに載せてみたり、形を感じるために握ったり、輪郭をなぞったり、振ってみたり、肌にあててころがすような動きをしてみたり・・・
分解を試みるほど大胆に触る人もいれば、慎重に触る人、渋い顔をしながら触る人、笑顔がこぼれている人など、仕草や表情もいろいろ。
さらに物を使いながら自分の説明をする時には、皆さん自然と、物を触りながら、角度を変えて見せながら、直接触って示しながら話をしていました。
グループワークの終わりには、「今日一番の気付き」をふせんに書いてもらいました。今回もたくさんの気付きが集まりました!
まとめ
「余白」について考えることを通じて、心や体、思考、感性的なアプローチなど、多くの気付きのあった第6回の LIFE PICNIC。
伊藤さんと近内さんの掛け合いに、しまださんの「気になる!」を逃さない質問が混ざり合い、充実したお話を、時間いっぱいお聞きすることができました。
(文:BONCHIスタッフ 冨島和華奈)